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夢とは何か

(1)J・アラン・ホプソン著 冬樹純子訳 2003「夢の科学―そのとき脳は何をしているか」講談社ブルーバックス
   原題 Dreaming An introduction to the Science of Sleep
(2)J・アラン・ホプソン著 池谷裕二監訳 池谷香訳2007「夢に迷う脳―夜ごと心はどこに行く」朝日出版社
原題 Dreaming as Delirium: How Brain Goes out of Its Mind
先日のブログで「夢のまた夢・・・・」と書いた。それで「夢」とは何かが気がかりになりだした。
「夢」と言えばフロイトの名前を思い出す。 「太古の昔から夢は、これが持つ神秘性のゆえに、現世とは異なった世界からのメッセージだと信じ、そのメッセージを正しく解釈することによって、未来が予言できると考えてきた。」(1)p.55 もちろん現在、この考えを支持する科学者はいない。しかしフロイトによる精神分析も古代人の未来予測の延長線上にあるのではないだろうか。疑似科学だろうと 信じているので、関連する本を読む気にもならない。(注)そこで目にとまったのがJ・アラン・ホブソンである。彼はフロイトとは異なり、膨大な夢報告や神経生理学の裏づけを取りながら研究を進めている。これぞ科学だ。著者によるフロイトの評価はつぎのとおり。
フロイトが半分正しかったこと
フロイトが正しく理解できていたのはどの点だろうか?それは、彼が夢を論じる中で、その原始的な情動面を強調した点である。
実際、夢は脳の原始的な欲求過程が睡眠中に放たれることで進行していく。そしてその欲求過程は、セックス、攻撃、逃避といった本能的な生存手段を含む。好ましいもの(高揚、歓喜、幸福、愛)に近づいていく。好まざるもの(格闘、攻撃、射撃)、これらに伴う感情がすべてそこにはある。
フロイトはこれらの欲求を“一次過程”とよび、目覚めているときの意識に特徴的な、より洗練された、より現実に考慮した形の“二次過程”と区別した。
しかしながら、フロイトは性的なこととの関連を強調しすぎたし、逆に、怒りや恐怖などの負の情動についてはあまり多くを語っていない。なぜなら、フロイトがもっぱら目を向けたのは、願望充足としての夢だったからである。
 (1) p.202
フロイトが完全に間違っていたこと
フロイトの夢理論によると、夢の中の無意識の願望は、常に意識をわずらわそうとする恥ずかしいものということになっている。ちょうど彼が生きたビクトリア時代の性的行為が、社会の目を盗んでこっそり行うもの、とされていたように。
フロイトは、夢の奇怪さを説明するのに、何の根拠もない“変形”だとか“検閲”といった解釈を用いた。夢の原動力である願望充足という欲求は、そのままの形で夢に現れることは許されず、色々と“加工”され、その結果わけのわからない奇妙な夢が生まれるという仕組みだ。“夢”として意識される夢の内容は「顕在夢」とよばれ、その裏には、変形や検閲される前の本当の夢が意味する「潜在思考」が隠されているのだという考え方が、精神分析的な夢理論の中核を成した。この考え方、そして直感や情動に大きな意味を持たせたこと、それがフロイトの夢理論のすべてだった。
 (1) p.204

著者は「夢のストーリーに意味はない」「単なる情報ノイズ」と断言している。では夢にはどのような意味があるか。(2)の中に、次のような夢の特徴と器質性精神症候群の類似性が示されている。
時間・場所・人物に対する失見当識
幻視
散漫性や注意欠陥障害
近時記憶の欠如
病識の欠如
(2)の原著の題名が示すように夢とは錯乱なのだ。

(注1)科学哲学者のカール・ポパーはフロイトの精神分析には実験やデータなどによる反証可能性がなく、疑似科学であると批判した。普通の科学者にはしごく尤もな主張だと思えるが、一部の心理学者はこの批判に耳を貸そうとしていない。
by takaminumablog | 2007-11-02 10:08 | 読書日記(その他の科学)
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