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地球システム

松井孝典2007「地球システムの崩壊」新潮選書
私たちは過去・現在・未来は連続したものと考え、現在起こっていることが過去にも起こっていたし、未来もそうだろうと考えがちである。科学者もその例外ではなかったようだ。
「地質学には最も普遍的と考えられてきた原理がある。それは現在生起する自然現象が過去にも起こったと考えることである。現在の世界では起こらない何かアドホックな現象を導入して、過去の事象を分析したりしない、という考え方である。難しい言葉だが、斉一説という。この普遍性に対する挑戦が20世紀に始まった。その一つがプレートテクトニクス理論である。」p.154 「20世紀後半になってもう一つの斉一説が覆された。天体衝突のようなアドホックな現象が、地球や生命の歴史に関わることが明らかにされたのである。」p.155 約6500万年前約直径10Kmの隕石がユカタン半島に衝突した事件(K・T境界事件)が恐竜の絶滅をもたらしたことは有名である。「直径10kmの巨大隕石が秒速20キロメートルを超える速度で地球に衝突すると、その瞬間、莫大なエネルギーが解放される。その衝突のエネルギーは、かって米ソ冷戦時代に保有していた核弾頭のすべてを同時に爆発させたエネルギーの1万から10万倍に相当する。今は亡きカーセル・セ-ガンらが指摘したように、全面的な核戦争が起これば、いわゆる“核の冬”と呼ばれる地球環境変動が起こるが、この衝突により引き起こされる環境変動は、そのエネルギーの比較からも分かるように、それは桁違いに大きいのである。現在我々が直面する地球環境問題のすべてが、規模を一桁大きくした形で引き起こされる。」p.174
 それでは近い将来天体衝突が起こる可能性がないのか心配になる。
「2002年6月14日、小惑星2002MNが、地球に20万キロメートルまで接近した。この距離は地球の直径の10倍くらいだから、宇宙的な距離感覚では、かすって通り過ぎたと言っても過言ではない。地球に接近する小天体の本格的観測は15年くらい前から始まった。その過去15年ほどのニアミス・ランキングでも、この接近距離はトップ10に入る。ほんのちょっと軌道が違えば、その当時日本と韓国で開催されていたワールドカップに沸いていた人類に、大惨事が引き起こされたかもしれない。発見されたのは、最接近の3日後、6月17日だったから、衝突が起こったとすれば、ある日突然原因不明の大爆発に見舞われたようなものである。
この小惑星の大きさは100メートルくらいと推定されている。1908年にシベリア・ツングース上空で天体が大爆発したが、その衝突天体の大きさに近い。ツングース爆発では、衝突天体は大気中で爆発し、その衝撃で付近の森林、約2200平方キロメートルがなぎ倒された。衝突天体の大きさが同じでも、小惑星と彗星とでは地球に衝突したときの爆発のしかたが異なる。その内部構造が異なるからだ。ツングース爆発は彗星の衝突によると考えられ、従って大気中で爆発した。小惑星の場合、小さくなければそのまま地球に衝突する。陸地に衝突するとしたら、地表には直径1キロメートルを超えるクレーターが形成され、海に落ちたなら、津波が発生し、衝突地点から100キロメートルの地点の海岸でも津波の高さは30メートルを越えるだろう。沿岸では津波の波高はもっと高くなる」p.78~p.79
心配しだしたらきりがないが、人々は天体衝突のリスクを軽視しすぎではないだろうか?

ところで、この本には「このままでは人類に100年後はない!」と大きく書かれた帯がついている。しかし本の内容は、関連した記述が少しあるが、そんな記述はない。本の内容も「地球システムの崩壊」というのは適切ではない。面白い本ではあったが、納得できない。ミックス・ジュースをアップル・ジュースと表示して売るようなものだ。おいしいからといって許されるものではない。
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by takaminumablog | 2007-08-31 09:56 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)

司法の限界と医療の限界

小松秀樹2007「医療の限界」新潮新書
この本のはじめの4章は司法と医療について述べられている。
よく「日本の司法には過失を罰する恐ろしい伝統がある」といわれる。一番有名なのは航空機事故の場合だ。米国では操縦士の過失が罰せられることはない。日本では過失であっても罰せられる危険性があるため、操縦士は事故に関する情報を提供しない。そのため航空機事故の真の原因が解明されない。この本にも次の記述がある。
刑法は社会の保全や安全のため、あるいは応報のために、個人をその責任ゆえに罰する体系です。刑法は原則として過失を罪としません。刑法第三十八条一項は「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合はこの限りでない」と規定しています。
 業務上過失致死傷は例外規定の一つです。私は何度か検察と議論しましたが、彼らによると、アメリカには同様の罪はないというのです。罪刑法定主義というのは、罪はあらかじめ法律でさだめられていないといけない、決められた罪にたいして、相応の罰もきめられていないといけない、というものです。ドイツ系の刑法の原則ですが、業務上過失致死傷はここから遠く離れた規定で、実に広い範囲まで罪になります。しかも往々にして、業務上過失致死傷が問われるのは、システム事故です。最新のヒューマン・ファクター工学で、システム事故で個人に責任を負わせることは安全向上に役立たないとされています。


福島県立大野病院で産婦人科医が逮捕されるという事件が起こった。事件についてはこちらを参照。ウェブには色々な人が意見を述べているが(たとえばこちら)、なぜかマスメディアではあまり解説されていないような気がする。私は専門家ではないので良く分からないが、そもそも医療ミスと言えるようなものかどうかも疑わしいようだ。たとえ医師のミスであったとしても、それを個人の責任として追及するという司法の姿勢には怒りを感じる。ただでさえ過酷な労働で名高い産婦人科医が逮捕される危険性もあるとなれば、あほらしくてやっていられないだろう。このような司法の横暴を放置すれば日本から産婦人科医はいなくなってしまう。そして、それは他の医療分野にも伝播していくであろう。不思議なことに司法の誤りやミスで個人が責任を追及されることはない。司法で個人を追及するとすれば「誤って死刑を宣告した判事は殺人未遂に順ずる犯罪」ということになるが。

この本の後半部分に、米国の医療制度問題を例に、米国の市場原理主義を批判する記述があるが、説得力に乏しい。米国の痛いところを指摘して、「市場原理主義」という先入観に満ちた言葉で非難するのは同じ著者とは思えない。内容的にも、木に竹を繋いだようだ。
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by takaminumablog | 2007-08-14 15:45 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)