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一人称で語られたサヴァン症候群

ダニエル・タメット(古屋美登里訳)2007「ぼくには数字が風景に見える」講談社
この本(サヴァン症候群の人の自伝)については毎日新聞の書評読売新聞の書評に書かれているので、私が書き足すことはない。 単に面白いだけでなく著者の人間性や著者の家族や友人関係などは感動的でもある。
この本の主題にはあまり関係ないが、著者の数学への嗜好に関する記述の中に次のような一節がある。 (p.118)
確率の問題は、直感ではうまく答えが導き出せない。たとえばこういう問題がある。「二人の子どもを持つ女性がいる。そのうちのひとりは女の子である。もうひとりの子どもが女の子である確率は?」
この答えは、二分の一ではなく、三分の一。なぜなら、すでにこの女性には女の子がいるわけだから、男の子がふたりになることはありえない。したがって、可能性としては、BG(男の子と女の子)、とGB(女の子と男の子)、GG(女の子と女の子)になる。

直感では間違える有名なモンティ・ホール問題というのを思い出した。「はずれ」は何か忘れたのでwikipediaを検索し、豚ではなくヤギだったことを確認した。
プレイヤーは、三つのドアを見せられる。ドアの一つの後ろにはプレイヤーが獲得できる景品があり、一方、他の二つのドアにはヤギ(景品がなく、ハズレであることを意味している)が入っている。ショーのホストは、それぞれのドアの後ろに何があるか知っているのに対し、もちろんプレイヤーは知らない。
プレイヤーが第一の選択をした後、ホストのモンティは他の二つのドアのうち一つをあけ、ヤギをみせる。そしてホストはプレイヤーに、初めの選択のままでよいか、もう一つの閉じているドアに変更するか、どちらかの選択権を提供する。プレイヤーは、選択を変更すべきだろうか?

回答と解説はWikipediaをどうぞ。
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by takaminumablog | 2007-07-30 08:50 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)

安全と安心

黒木登志夫2007「健康・老化・寿命」中公新書
この本に次のような一節がある。
安全は確率的、安心は絶対的
「安全で安心できる食生活」というように、安全と安心はセットで言われることが多い。しかし、日本語で言う「安心」を英語などの欧米の言葉に翻訳することはできない。そもそも、安全と安心は、概念からしてまるで違う。すなわち、
・安全:科学的、客観的、確率的
・安心:心情的、主観的、絶対的
安全性の要求に対しては科学的に対応できる。しかし安心を求める人たちは、絶対安全かと聞く。絶対的な安全性など存在し得ないので、常に確率的に考えざるを得ない。

この文はBSEの安全性に関連して書かれたものである。 同様なことが原子力発電所の安全性についても言えるのではないだろうか。 私たちも安易に「安全・安心」を求めるのではなく「安全」のみを求めるべきではないだろうか。そのかわり「絶対安全」などの白々しい嘘はやめて「安全性」を数値で示してほしい。それで安心か否かは各自考えればよい。
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by takaminumablog | 2007-07-23 14:20 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)

再び科学者の不正行為について

石黒武彦2007「科学の社会化シンドローム」岩波科学ライブラリー
この本のあとがきに次のような記述がある。
科学研究におけるミスコンダクトは、科学システムを脅かす症候である。本書では、その問題点を明らかにするだけでなく、科学システムの内部に立ち入って、問題の根源をさぐり、解消の方向を模索してきた。そして、科学が社会においてうけいれられつつあるものの、社会とのかかわりの中で問題化するものがあること、科学の内部からの要求に沿えなくなっている社会事情があることなどを指摘した。

科学者のミスコンダクト(不正行為)と科学界の事情(厳しいな競争など)や社会事情となんらかのつながりがあることを否定できなきが、ミスコンダクトの説明に続いてそのような話を持ち出されると、首を傾げたくなる。犯罪者が「社会が悪い!」とうそぶいているのを思い出す。この本の著者も含めてミスコンダクトを論じている人の多くが科学者で犯罪や不正行為に疎いのではないだろうか。
有名な大阪大学大学院医学研究科の不正事件について、つぎのような簡略な記述がある。
2005年の大阪大学大学院医学研究科からの不正論文では、医学生が不正を働いたとされた。指導教官の共著者は有能視された若手の教授。この場合もベル研究所事件同様、指導者格の教授の科学者としての責任はきわめて重大であるといわなくてはならない。その関与がなければ、このような論文が一流紙に掲載され受け入れられることはなかったからである。しかし大学当局は、学生の指導が不適切であったことを理由に2週間程度の停職処分としたにすぎない。これにより大学は、学内行政的には一定の措置をしたかに見える。だがこの措置には科学コミュニティに対する責任を深刻にとらえ、あってはならない事件の再発を絶対に阻止するという倫理の裏づけを読み取ることはできない。

詳しく知りたいと思い、ブログを検索しかなり詳しい説明批評を見つけた。
大阪大学では再び不正事件が発覚している。「きわめつけは、2006年7月に発覚した生命科学分野に大阪大学の論文捏造事件だ。驚くべきことに、改ざんしたデータで論文発表しようとしたのは、長い研究キャリアをもつ定年を前にした教授だった」(p.31)と著者に紹介された杉野明雄教授の事例をみても、若い研究者が厳しい競争にさらされていることとミスコンダクトを短絡させてはならない。(上品な著者はすでに公表されている人名も伏せて記述している。)
ミスコンダクトはつきつめると研究費の窃盗という立派な犯罪である。この問題をお人よしの科学者だけに任せるのではなく、犯罪学の知見を導入し動機の解明や処罰方法を検討すべきではないだろうか。
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by takaminumablog | 2007-07-22 15:40 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)

野口英世を英雄視するな!

福岡伸一2007「生物と無生物のあいだ」講談社現代新書
本の主題とはあまり関係のない話題。この本は野口英世の話から始まる。著者はポスドクとしてロックフェラー大学で研究生活を開始した。大学の図書館の片隅にある野口英世の胸像を見学に訪れる日本人観光客がいるというのには驚いた。野口英世は電子顕微鏡が発明されていない時代に、光学顕微鏡を使って見えるはずのない数々の病原菌(現在ではウイルスによることが判明している)を「発見」したことで名高い。野口英世が悪意をもって「発見」したのか、紛れ込んだ雑菌を観察したのか今となっては分からない。しかし科学者としては失格であることは否定できない。それなのに日本ではあいかわらず野口英世を英雄扱いしている。「ノーベル賞級の野口英世賞」なるものが新設されたらしいが、ミスコンダクト(科学者の不正行為を意味する業界用語)で功績があったインチキ学者にささげたいようなネーミングではないのか。
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by takaminumablog | 2007-07-21 09:07 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)

原子力発電所は「姉歯状態」か?

ついに柏崎原発を停止することになったようだ。この際個人的な所感を述べてみたい。
私は原子力発電に無条件で反対するものではない。化石燃料は有限で、再生可能エネルギーの規模はきわめて小さい。もはや原子力発電なしには人間は生きられない。日本では総年エネルギーの11.8%(2005年度)、電力の34%(2004年度)を原子力発電に依存している。
 しかしそれにしても日本の原子力発電所の耐震基準は極端に低い。浜岡を例にとると、現状は以下のような値を想定した耐震設計になっているそうだ。こちらの記事参照
 1号機、2号機 450ガル
 5~3号機 600ガル
注)ガルとは加速度を表す単位。重力加速度は約981ガルなので、この値を超えると固定されていないものは浮き上がる。
中部電力では現在、浜岡原子力発電所1000ガル(世界最強だそうだ)に耐えられるよう耐震補強をしているそうだ。
ところで世界一の地震大国で実際に観察された値は1000ガルをゆうに超えて次の通り。
 阪神大震災 800ガル (webでは精密な観測値が見付からない、阪神大震災以降計測地が増えた)
 2004年の中越地震 1722ガル 新潟県川口町
 能登半島地震 1304ガル 石川県輪島市
 今回の中越沖地震 1019ガル (柏崎市)
電力会社による「原子力発電所の立地は活断層を避けている」「硬い岩盤に固定されている」など言い訳を耳にするが、今回の地震でも解説されているように、日本中、活断層がどこにあるかよく分かっていない。特に海底はまったく調べられていない。
 なお原子力発電所の耐震性に対する内部告発については池田信夫ブログJanjanの記事参照。なお池田信夫ブログでは「M8以上の大地震が30年以内に80%以上の確率で起こるとされる東海地震」と記述されているが最近は「東海」に地域を限定する考え方は誤っていたという意見が主流である。地震調査研究所から、東南海地震の発生確率は10年以内10~20%程度、30年以内60~70%程度、50年以内90%程度という長期評価が発表されている。マグニチュードは東南海単独で発生した場合8.1前後、南海地震と同時発生の場合8.5前後。くわしくはこちら。
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by takaminumablog | 2007-07-18 16:39 | 雑感 | Comments(0)

縄文海進

次の本の表紙に約7000年前の関東地方の地図が載っている。
日本第四紀学会2007「地球史が語る近未来の環境」東京大学出版会
海が現在の海岸線よりも深く内陸に入り込んでいるのがわかる。 この頃(日本の縄文時代)は現在よりも2℃くらい温暖で海岸線が深く内陸に入り込んでいたため、縄文海進と呼ばれる。(こちらの記事が参考になる) 昨今温暖化が危機感をもって騒がれているが、縄文時代と比較すれば、温暖ではない。 温暖化はこれから起こると予想される危機である。
 しかし、たった2℃気温が上昇しただけでこんなに海水面が上昇するなら、21世紀末には東京が水没するのかとちょっと不安になる。 その答えが上記の本の第2章に次のように解説されている。
 氷期の終了と共に陸上(北米大陸やスカンジナビア半島)にあった氷河が融解し海水面が140mも上昇した。融水は海洋に移動し海底面に新たな加重として加わったが、地球内部のマントルは粘性体であるためすぐには反応しない。縄文時代は海水の増加分海面が上昇した。しかし新たな加重は徐々に海底下のマントルを圧迫しマントルは陸地のほうに流れ込み陸地を押し上げた。そのため現在のような海岸線となった。このようにある程度弾力性がある地殻が重力とバランスを保つことを「アイソスタシー(isostasy)」というそうだ。特に海水とのバランスの場合は「ハイドロアイソスタシー(hydroisostasy)」というらしい。海水の量は現在の方が縄文時代よりも多いのにアイソスタシーの働きにより海岸線が現状のような海退状態になった。要するに海水の加重が陸地を押し上げたわけだ。
 西九州では、縄文時代の住居跡など陸上にあったはずの遺跡が現在の海水準下で発見される理由もハイドロアイソスタシーで説明できるそうだ。
 この本にはデルタ地帯の海岸線が上流に作られたダムの影響を受けて侵食されていることなども解説されている。 温暖化により世界の平均的な水位が上昇するが、個々の地域で海岸線がどうなるか予測することは大変難しい。
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by takaminumablog | 2007-07-10 16:39 | 読書日記(環境問題) | Comments(0)

本来ならすでに氷期?-ラディマン(W. F. Ruddiman)の仮説について

現在のように地球温暖化が認識されるようになる前、多くの気候学者が地球の寒冷化を予測していた。あの予測はどうなったのか気になる人もいるだろう。これに関連した「ラディマンの仮説」と言うものがある。この仮説についてちょっと書きたい。


興味をもたれた方はこちらの解説記事を参照。なおこの翻訳で「氷河期」となっている言葉は厳密には「氷期」にすべきだろう。

<一般的な解説>
地球は氷期と呼ばれる寒冷な時期と間氷期と呼ばれる温暖な時期を切り返してきた。最近の氷期は1万2000年前に終了した。その後現在に至るまで例外的に温暖な時期が継続し人類の繁栄をもたらした。
<この一般的な理解に挑戦する形でラディマンは次のように主張した>
ユーラシアで8000年前に始まった農耕地開発のための森林伐採が大気中の二酸化炭素の増加をもたらした。 さらに南~東アジアで始まった水田耕作がメタンの増加をもたらした。 これらの温室効果ガスが本来の気温を0.8℃上昇させ、氷期の到来を遅らせている。

 誤解のないように付け加えるとラディマンは20世紀の温室効果ガスによる温暖化を否定しているわけではない。温室効果ガスによる温暖化を前提にしている。人類の活動による温暖化は8000年前から始まっているがちょうど地球が寒冷化する時期と重なったため隠れてしまったと主張している。
 大変興味深い仮説であるが反論もあり議論は継続中らしい。次の本のコラム記事でラディマンの仮説について解説している岩田修二は「氷河変動を研究している筆者の立場からみると、新しい氷期が始まっているのは確実のように思える」と書いている。
日本第四紀学会2007「地球史が語る近未来の環境」東京大学出版会
ラディマン自身による解説(上記、日経サイエンス日本語訳)は次の文で終わっている。「20世紀に起こった急速な温暖化はおそらく利用可能な化石燃料が枯渇するまで、すくなくとも200年は続くであろう。化石燃料が枯渇した後は、人間の活動から生まれた過剰なCO2はゆっくりと深海に吸収され、地球気候は徐々に寒冷化し始めるに違いない。この寒冷化が進んで、大幅に遅れてきた氷河期がついに始まるのか、それとも氷河期には至らない程度の寒冷化で収まるのかは予測不可能だ。」
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by takaminumablog | 2007-07-04 15:37 | 読書日記(環境問題) | Comments(0)