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新型インフルエンザ

今回は新型インフルエンザに関する私の感想を書くことにします。

世界中で高病原性鳥インフルエンザの発生が続いている。最近発生しているのはどれもH5N1亜型といわれる同一タイプのようだ。ベトナム、タイ、インドネシアなどでヒトへの感染も起こっていている。専門家はこの状態が続くと、ウイルスが変異してヒトからヒトに容易にうつる新型インフルエンザが生まれる可能性が高いと考えている。私は「新型インフルエンザは核戦争にも匹敵するくらいの人類への脅威だ」と考えている。
 国内で新型インフルエンザ発生した時は、公共交通機関は遮断する必要があるだろう。インフルエンザ・ウイルスは飛沫感染するため、満員電車は極めて危険だ。 先日のニュースによれば厚生労働省は新型インフルエンザが発生した場合に備えて、(まだ素案の段階ではあるが)国民に2週間分の水と食糧の備蓄を求めるという。2週間分というのはインフルエンザの流行が収まるまでに必要な時間から出てきた値であろうが、正直言って驚いた。つぎの数字を見てほしい。
・東京では一日一人当たり368リットルの水が使われている。
・家庭では一日一人当たり200~250リットルの水が使われる
・食事と食器洗い程度に限定しても一日2~3リットルは必須(私は登山に行き、水のないところでテントを張って一晩すごした経験が何回かある。このようなときは水を持参するのだが、2リットルの水で済ますのはとても苦しかった。)
しかし水道といえどもまったく無人では維持できないだろう。水ばかりではない。医者や看護士はどうやって移動するのだろう。人が勝手に移動しないようにするためには警察による取締りが必要だろう。最低限必要な人の交通機関はどうなるのだろう。そのように人の食事はだれが作るのだろう。そう考えると交通機関の遮断はできそうにもない。

冬になるとあちこちで白鳥を呼び寄せるため、大量の給餌が行われている。このように自然の動物に餌を与えることは、自然破壊だけではなく、ウイルスの繁殖を促すことになるのではないだろうか。
鳥インフルエンザウイルスは、カモなどの水鳥と平和共存しています。ウイルスはカモなどの腸管で増えますが、病気を起こすことはありません。池や湖に排泄された糞の中にはウイルスが含まれていて、ほかの水鳥に感染を広げます。
(山内一也「地球村で共存するウイルスと人類」NHKライブラリーp.226)

恐ろしい新型インフルエンザに対処するためには、研究者にがんばってもらわなければならない。先日もカナダ人の研究者がレベル4実験室でスペイン風邪ウイルス(1918年)の再現と感染実験を行ったというニュースがあった。しかし日本にはこのレベル4実験室がないのだ。
自主防衛できないレベル4ウイルス
病原体はその危険性に応じてレベル1からレベル4までの4段階に分類されています。もっとも危険なものがレベル4で、これに分類されている病原体はエボラウイルスやマールブルグウイルスなど、ウイルスだけです。そして、これらのウイルスを取り扱うウイルスをレベル4実験室(レベル4実験室、通称P4実験室)とよんでいます。私は1976年に厚生省(当時)の調査チームの一員として、米国と英国のすべてのレベル4実験室を視察しました。そして、そこで得られた数多くの情報を参考にして、1980年、国立予防衛生研究所(当時)の村山分室に、レベル4実験室が建設されました。これは世界でも最高の安全設備を備えたものです。しかし地元の市は、住民への事前説明が不十分であったとして、市長が厚生大臣あてに実験停止と施設移転を求める要望書を提出しました。その結果、厚生省はレベル4のウイルスを用いた実験を禁止し、現在もその状態が続いています。
同上p.255
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by takaminumablog | 2007-01-26 16:25 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)

グローバリゼーションの真実

「小難しい!」と文句を言われるし、私もブログにも飽きてきたのでそろそろ閉鎖しようか、ミクシィの日記に移行しようかなどと迷いながら、とりあえず投稿します。

「市場原理主義」という市場を否定的に表現するとき使われる言葉がある。おそらく経済学者で市場主義を否定する人はほとんどいないであろう。(ただし日本の出版界には偽経済学者、エコノミストがはびこっているので注意)市場に任せる以外に方法がないのだろう。それにもかかわらず、「アメリカがグローバル経済において市場原理主義を主導し世界の貧富の格差を拡大している」というのが社会通念になっているように見受けられる。この「アメリカが市場主義を推進している」という部分は本当なのだろうか。私はかねてから「アメリカは自分の都合のよい場面でのみ市場主義を持ち出す」というのが的確なのでなないか、と思っていた。そんな折、ふと、次の本が目に留まった。
ピエトラ・リボリ(雨宮寛、今井章子訳)2007「あなたのTシャツはどこから来たのか?―誰も書かなかったグローバリゼーションの真実」東洋経済新報社
この本はアメリカで売れているTシャツができるまでの物語だ。原料の綿はアメリカ産が圧倒的に多い。繊維は世界中で作られている。(米国の規制によりわが国のように中国一辺倒ではない)米国の輸入割当制度(滑稽なくらい複雑な制度)に従って世界中のいろいろな国でTシャツに加工され米国に輸入されてくる。輸入割当を決めるのは市場ではなく政治だ。米国の政策はけして褒められたものではないが「市場原理主義」とはまったく正反対のものだ。そういえばわが国でも「縄と糸の取引」(沖縄返還の見返りに繊維製品輸出を自主規制した)があったではないか。この種に政治取引は今も続いている。最近では同時多発テロ(9・11)事件以後イスラム経国家のパキスタンを米国の見方につける見返りに繊維製品の輸入割当を与えることが検討された。(実際にはアフガニスタン侵攻も短期間で終了し、パキスタンは輸入割当でわずかに優遇されただけだった)さすがに自由貿易の建前に反するというので自由化が検討されているが、一旦輸入割当制度ができてしまうと、廃止は容易ではない。もし廃止すれば、中国の圧倒的な競争力の前に、これまで割当制度により繊維産業が維持されている小国の産業が壊滅的な打撃をこうむる。Tシャツが本物の市場の洗礼をうけるのは、古着として捨てられてからだ。古着は主としてアフリカ諸国に売られていく。
2005年の全米最優秀学術書(金融・経済部門)だけのことはあって最高に面白い。
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by takaminumablog | 2007-01-06 08:23 | その他の読書日記 | Comments(0)