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世界終焉?

「不純文学交友録」という名のブログから面白そうな本を紹介していただいたので呼んでみた。
ジョエル・レヴィ著柴田譲治約2006「世界終焉へのいくつものシナリオ」中央公論社
本の内容については不純文学交友録にお任せし、私の感想を述べてみたい。
著者は「生態系の断末魔」についてかなりのページを割いている。たしかに危険性はあるが、著者のいうようなカストロフィが迫っているという考えにはただちには賛成できない。たとえば、生物多様性が減少して人間が住みにくくなれば自然と人口が減少するはずだ。人口減少により生物多様性減少が止まるかもしれない。もちろん一旦増え始めた人口は減らない、人間の欲望には限りがない、人間が気づいたときには遅すぎる、という可能性もあるが必然ではないだろう。
著者は「地中メタンの放出」(海中メタンの誤り?)を可能性3ダメージ9危険度4としあまり危険視していないようだ。しかし5500万年目の海洋生物の大量絶滅はメタンハイドレートによるものだという説が有力だという解説記事を日経サイエンス(別冊153)で読んだ。同様の解説がここにもある。メタンハイドレートの放出は自然にも起こりうるし、ひょっとしたら人間が新しいエネルギー欲しさに誤って放出させてしまうかもしれない。そのときは恐ろしい地球温暖化が起きるだろう。5500万年前の事件では深海の水温が6℃も上昇したらしい。なお、そのように環境中に放出された炭素がどうやって退場させられたかは分かっていない。
地球温暖化によりグリーンランドの氷河が融解し熱塩循環と呼ばれる海洋大循環を止め、地球が氷河期に突入する可能性について短い記述がある。(著者もあまり重視していないようだ)多少ヨーロッパが寒冷化することはあっても、熱演循環が完全に停止し氷河期に突入するという考えの人はほとんどいないだろう。
この本を読むまで、富士山の火山活動については気にしても、巨大火山の噴火の危険性についてはあまり気に留めたことはなかった。しかしアメリカの有名な国立公園イエローストーンにある巨大火山は200万年前、120万年前、60万年前に噴火したらしい。(そろそろ噴火のころだ)これが噴火するとアメリカ合衆国を滅ぼすくらいの力があるらしい。(イエローストーン国立公園に行ってみたくなった)
いろいろな危険性があるが、本当に世界終焉がおこるとすれば、著者もいうように、単独の要因ではなく、複合的なものになるだろう。過去の歴史をみれば、食糧危機やエネルギー危機をきっかけに戦争が起こっている。アメリカなどはエネルギー危機を未然に防ぐために戦争を起こしている。
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by takaminumablog | 2006-08-28 13:15 | 読書日記(環境問題) | Comments(2)

右をみても左を見ても馬鹿と阿呆の絡み合い

薬師院仁志2006「日本とフランス 二つの民主主義―不平等か、不自由か」光文社新書
社会学者である著者は数年前「地球温暖化論への挑戦」という日経用語でいう「領空侵犯」本を書いている。専門外の分野であるにも関わらず、俗論への疑問を詳細に論じている。今回は領空侵犯ではなく社会学の中心テーマ。
 日本の知識人やマスメディアはアメリカの論調だけを見て、それがグローバル・スタンダードだと主張しているように思えてならない。そのくせ、イラク問題のような外交にからむ問題になると「日本には独自性がない」と批判している。左派は左派で「大きな政府」を主張するくせに消費税反対を叫ぶ。日本の左派は戦時中のスローガン「民主主義=支配階級への抵抗」という図式から抜け切れていない。
 このような腹立たしい状態を、「自由をもめて不平等になる日本の民主主義と平等を求めて不自由になるフランスの民主主義」という観点から見事に解説した本だ。昨今話題の格差社会や小子化問題も日本をフランスの実情と比べると良く理解できる。
 この本を読んで、右や左の馬鹿と阿呆を冷笑しながら、少しは賢くなったような気がした。
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by takaminumablog | 2006-08-20 17:08 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)

砂漠に植林してはいけない

四手井綱英2006「森林は森や林ではない-私の森林論」ナカニシヤ出版
もう一つ森林生態学の大長老の本に書いてあったことを紹介したい。
私がこんな話をくどくどと書かねばならなかったか、すなわち、砂漠やオアシス、中国のポプラなどを書く必要に迫られたかというと、近頃「砂漠に植林する」ということがよく言われるようになったからだ。砂漠は砂が溜まった所と思い込んでいる人が多いことも気になりだしたからだ。砂漠が砂の集まった所だとしか考えない人の中には、海岸の砂丘と砂漠を同一視する人がいる。
 このような人たちの典型的な発想はこうだ。「砂漠の造林や緑化をやる手始めに、海岸の砂丘で何か工夫して、造林してみる。そしてその造林に成功すると、そっくりそのままの方法を砂漠に持っていけば、砂漠に造林ができる」。このように思い込んでいる人たちがたくさんいるのだ。そのための研究費の交付やODAなどもあるご時世である。
 先日もそんな人の講演を聞かされた。質問をしようかと思ったのだが、私が質問すれば彼の話がそっくり駄目になってしまうのでそのまま帰った。

先生、お年をめされているだけあってやさしいのですね。
砂漠は降水がきわめて少ないが、日本の海岸には降水が充分ある。海岸が乾いて見えるのは、降水が砂の下部まで浸透してしまって、使いにくいだけだ。日本では、根を地下深くまでまっすぐ伸ばすことのできるマツ類のような樹木なら、砂で埋まらない工夫だけをしてやって植えれば、地下の水が使えるため、植えられた苗木は結構育つ。昔から海岸砂防のためにマツ類が利用されているのはこのためだ。
 砂漠が砂地になったのは結果で、水が極度に不足していて何も育たないからだ。

現在の時点に限るが、砂漠の緑化とか、砂漠に木を植えようなどと言っている砂漠は、本当の砂漠ではない。多雨地帯ではあるが、それぞれ木の生えていた地域を伐り荒らして荒野になってしまった地帯が数多く含まれている。真に水の不足した地帯に木を植えることはさらに水を不足させる愚かな行為に過ぎない。このことは、誰が考えても明らかである。したがって、真の砂漠に植林はありえない。砂漠緑化を声高に主張する人々の、真の目的は何かといつも疑問に思う。似非科学者の愚かな着想に影響を受け、水不足地帯に一生懸命に木を植える人々の姿を見ると本当に情けない。

我々庶民は似非科学者やアホなマスメディアにだまされないように注意する必要があるようだ。
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by takaminumablog | 2006-08-12 11:12 | 読書日記(環境問題) | Comments(0)

失われる日本の広葉樹林

私は、登山中に大規模な伐採地や手入れの悪い針葉樹の植林地帯に出会うたびに、いつも疑問に思っていた。「もともとあった広葉樹を伐採して成長が早いらしい針葉樹に置き換えることは、自然破壊ではないだろうか」と。次の森林生態学の大長老の本を手にして、私の疑問は間違っていなかったことを知った。
四手井綱英2006「森林は森や林ではない-私の森林論」ナカニシヤ出版
著者は次のように林業行政に厳しい批判を浴びせている。
私が今まで林野庁のやり方に反対したことは二つある。その一つは国有林特別会計だ。-中略-
第二に私が反対したことは大面積皆伐と大面積人工造林である。人口造林による森林管理だけを林業と思い込み、ついに1,000万ヘクタールという日本の森林面積の40%を超える人工造林を造ってしまったが、これは優良造林地を造るということには著しく過大である。日本の森林面積で、人工造林として良い森林が出来るのは森林土壌から考えてせいぜい25%までである。
 しかも、連続して、一流域を年々皆伐、造林すると、災害に弱く、急速に林地が悪化してしまう上に、水源の確保にも大きな欠陥がでてくる。一回の伐採面積はその後、かなり小さくなったが、人工造林で出来る森林は、単純、一済、同齢林だから、天然生林の多種からなる不済な異齢林にはならない。百年もたった人工造林地なら、かなり安定した森林になれるが、4、50年の人工林地は気象災害に極めて弱い。先般九州を襲った台風では広い面積で人工造林木が倒伏して、水害の原因になったばかりか、跡始末に何年もかかってしまっている。その上、人工造林を推進するため拡大造林という政策を強行して、天然林や元の薪炭林まで人工造林地に変えてしまい、現在おおいに取り扱いに困っているのだ。

そういえば土砂崩れの報道で映し出される倒木は決まって人工の針葉樹だ。メディアで林野庁が取り上げられることはほとんどない。そのおかげで三公社五現業のうちいまだに林野庁の職員は国家公務員らしい。そうならそうでもう少しまともなことをやってほしいものだ。
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by takaminumablog | 2006-08-11 09:02 | 読書日記(環境問題) | Comments(0)