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燃料電池に関する誤解

燃料電池に関するマスコミの紹介には時々おかしいものがある。先日NHKが、江東区の高校生が燃料電池搭載のバイクを開発していると報道していた。「水素を使うため温暖化のもととなる二酸化炭素を出さない」と紹介していた。日本経済新聞の付録である「日経4946File 26号」のハイブリッド車に関する記事の中に以下のような囲み記事を見かけた。
「燃料電池車」は世界中のメーカーが“究極のエコカー”として開発競争をしている車で「燃料電池」が搭載された電気自動車です。燃料電池は水素の化学反応で電気を起こす発電機で、排出物は水だけです。普通のバッテリー式の電気自動車は、走行距離や充電時間に問題がありますが、燃料電池車は、燃料となる水素を補給すれば、エンジン車と同様に使うことができます。
 しかし水素を車で貯蔵することは難しいので当面はメタノールを水素に変えながら走る「改質型」の燃料電池車が考えられています。またガソリンを水素に変えるタイプを研究しているメーカーもあります。しかしこうした改質型の電気自動車は結局CO2などを排出することになってしまいます。

ここまでを読めば「水素を使う電気自動車は二酸化炭素をださない」と読める。確かに水素を使う燃料電池はそうである。しかし水素は自然界には存在しないため、どこからか持ってくる必要がある。普通は化石燃料を「改質器」に通して作る。この場合は二酸化炭素が排出される。水を電気分解して作るとすれば、電気を作るのに電気を使うことになり効率低下をもたらす。また電気作るためには、たいていの場合原子力か化石燃料を使う。ただしこの囲み記事は以下のような続きがあり、上記の誤解を解消している。
このため、水素吸蔵合金など、水素を貯蔵するための技術開発が進められていますが、道のりは険しいようです。改質型でない燃料電池が開発され、燃料となる水素が再生可能なクリーンエネルギーのみを使って生産されるようになって初めて、燃料電池車は“究極のエコカー”となるのです。

困ったことに、この最後の文章を省いたマスコミの解説をあちこちで見かける。二酸化炭素削減には太陽電池や風力発電などの再生可能エネルギーの開発が必須であり、今のところ燃料電池は化石燃料を効率的に使う方法でしかない。燃料電池に関する解説文を以下の本から引用しておく。
小島紀徳2003「エネルギー 風と太陽へのソフトランディング」(地球と人間の環境を考える05)日本評論社(ISBN4-535-04825-8)
最近、燃料を燃やす代わりに電池をもちいて直接電気を取り出す燃料電池が注目されている。熱エネルギーや機械的エネルギーを経る場合と異なり、その化合物の持つ有効エネルギーをすべて電気として取り出すことも可能だ。化学的エネルギーの有効性は高いので、燃料電池もその程度の効率、たとえば水素を燃料とする場合には83%が期待されるが、現在もっとも広く市販されている燐酸型燃料電池だと40%程度、現在開発中のものでも60%程度だ。60%だとコンパインドサイクルよりも効率が高い。しかし燃料電池のメリットはむしろ他にあって、非常に小規模で発電が可能なため、大規模な発電所では結局使用できずに捨てられてしまう熱も有効に使える。
さらに大規模な燃料電池複合発電も研究中である。この場合、まず化学的エネルギーを直接電気エネルギーに変え、残ったエネルギーを高温で取り出し、蒸気機関で発電する。ガスタービンを燃料電池に置き換えたタイプの複合発電である。

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by takaminumablog | 2005-08-30 14:36 | 読書日記(環境問題) | Comments(0)

素数ゼミ

蝉のなく季節がやってきた。素数ゼミと書くと素数ゼミナールと勘違いする人がいるかもしれない。素数蝉である。アメリカには13年ごと、あるいは17年ごとに大発生する蝉がいるらしい。昨年はその蝉の当たり年で日本でもニュースに取り上げられていた。次のような本があることを知り無性に読みたくなった。
吉村仁2005「素数ゼミの謎」文藝春秋(ISBN4-16-367230-3)
たくさんの挿絵入りの子供向けの本で、1時間ほどで読めた。しかし面白い本である。そもそもなぜ13とか17という素数なのか。むかしどこかで「素数であれば、2年後ごとに襲ってくる天敵、3年ごとに襲ってくる天敵、5年ごとに襲ってくる天敵などから強い」と書いてある文を読んだことがある。しかしそれだけであれば「5年ごとに襲ってくる天敵なんているの?13や17という大きな素数でなくても7年くらいで十分じゃあないの」と感じた。この本を読むと天敵の問題以前に交雑から強いことが重要だということが分かった。実生活には役立たないことではあるが、長年の疑問が解消してすっきりした。本を読んでから知ったがつぎのサイトに紹介記事があった。もちろん本の方が分かりやすい。
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by takaminumablog | 2005-08-28 17:29 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)

外来生物は悪者か

外来生物を悪者扱いにする論調が目立つ。自称リバータリアンでかつ構造主義生物学というちょっと変わった生物学を主張する著者の本を読んでみた。
池田清彦2005「底抜けブラックバス大騒動」つり人社(ISBN4-88536-531-7)
軽いのりで外来生物駆除論者の根拠薄弱さを指摘している。むずかしい構造主義生物学の話は一切でてこない。著者の主張はつぎの5点である。
(1)生物多様性保全を金科玉条にする考え方には根拠がない
(2)生物多様性保全と外来生物は必ずしも矛盾しない
(3)生物の個体数を直接コントロールすることには無理がある。
(4)和歌山県でタイワンザルが野生化し、ニホンザルの交雑も起こっている。この交雑固体をDNA検査のした上で駆除する事業が決定された。このような遺伝子汚染を心配する考えかたはナチズムそのものだ。
(5)ブラックバス駆除は自然保護に名を借りた公共事業ではないか。
このうち(1)についてはあまり明快な説明がない。生物多様性保全と人間の利害が対立する場面では明確な基準がないのは確かだが、著者はどう考えているか分からない。
(2)についてはきわめて常識的な見解だ。気象や環境が変化するのに生物だけを固定しようとしても無理だ。我が家のまわりを見回してみても空き地に生えているのはほとんど帰化植物だ。(ヒメジョーン、ヒメムカシヨモギ、セイタカワダチソウ、オオイヌフグリ、アカツメクサ・・・・・)これらをすべて駆除したらどうなるのだろうか。生物の多様性を保全するためにはすでに定着した「外来生物」は駆除しないほうがよいかもしれない。
 (3)の論点「魚や昆虫のように多産・多死の生物は駆除によって個体数を直接コントロールできない」ということも常識的な見解である。その生態が生物に適していれば駆除してもすぐ増えるだろう。
(4)の論点、ナチズムとの関連性については、鋭い指摘である。一般の人は奇異に感じるかもしれないが、自然保護運動とファッシズムはとても相性がよい。「環境を守るために人間は我慢しなければならない」と「人間の数を制限しなければならない」は紙一重だ。権力者が守るべき自然を決める現状がある限り、権力者にとって環境保護は人権を制限する格好の口実となる。環境保護至上主義者はどう考えているのだろうか。
 (5)の論点、環境保護が公共事業化していく問題についても同感だ。めったに登山者のこない山などに出かけてみると、自然破壊的な公共事業が行われていると実感する。不必要に広大な駐車場、木を切り倒したスキー場開発、立派な舗装道路などなど。従来型の公共事業が限界にきたため、今度は自然保護の名を借りた事業が主張されるようになった。世界遺産登録もそのひとつだろう。
 しかし、この本にはブラックバスが在来の生物に実害を及ぼしているかどうかは記述されていないため、この本を読んで直ちに著者のいう「ゾーニング案に賛成」という気にはなれない。もし実害を及ぼしているのならブラックバスを釣る人(バサーという)は駆除の費用を負担する義務がある。「日本の川とか湖は畑みたいなもの」(p.41)だから他人の畑に勝手に魚を放流することが許されるわけはない。これは環境問題なんかではない。
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by takaminumablog | 2005-08-15 17:05 | 読書日記(環境問題) | Comments(1)

有人宇宙開発に科学的意義があるだろうか

最近、日本人宇宙飛行士を英雄扱いする報道が多い。スペースシャトルはチームプレーで運行しているもので宇宙飛行士に日本人が含まれていることがそんなに大きなニュースなのだろうか。二度も大きな事故を起こしているスペースシャトルを礼賛するような報道振りも疑問だ。そこでスペースシャトルを批判したつぎの本を読んでみる。
松浦晋也2005「スペースシャトルの落日 失われた24年間の真実」エクスナレッジ
(ISBN4-7678-0418-3)
「・スペースシャトルは宇宙船として巨大な失敗作である。コンセプトから詳細設計に至るまで無理と無駄の塊だ。・シャトルの運行が続いた結果、宇宙開発は停滞した。・スペースシャトルに未来があるとだまされた世界各国は、シャトルに追随し、結果として宇宙開発の停滞に巻き込まれた。」(p.6)と著者は主張している。私にはこの本の主張を評価するほどの知識はないが、2度も人身事故を起こしているスペースシャトルが失敗作であることは誰でも認めるであろう。航空・宇宙の専門家である著者は宇宙開発の遅れを取り戻す必要性を主張しているが、私は賛成できない。そもそも有人宇宙飛行にどんな科学的意味があるのだろうか。宇宙には(1)無重力(2)地球表面の大気がないため宇宙がよく見える、という二つの特徴がある。このうち無重力の研究はたいした意義はないだろう。無重力状態での結晶析出などが研究されてきたが目立った成果はなさそうだ。(一方超高圧状態からは未知の鉱物の生成が確認されている)無重力状態の生物への影響を研究することにどんな意味があるのだろうか。生物はその進化の歴史を通じて無重力を経験したことはないはずだ。宇宙めだかの研究など税金の無駄遣いだ。結局宇宙飛行の意義は宇宙観察に限られる。その研究をするためなら何も有人飛行をする必要はない、無人にすれば費用は大幅に削減できるし、観測したい天体に近づくこともできる。
宇宙を研究することは地球を研究することに比べて特別価値があるとも思えない。つぎの本を読むと地球内部の研究の意義がよく分かる。
平朝彦ほか2005「地球の内部で何がおこっているか」光文社(ISBN4-334-03314-8)
地球内部探査という研究が日本主導で行われていることは大変誇らしいことである。
SF映画を見すぎた人は将来地球が住めなくなったときに、新しい居住天体が必要だというかもしれない。もしそれが可能であれば、宇宙ではなく地球上の、現在は人が住めない地域に住めばよい。そのような目的のために米国でバイオスフィア計画という実験が行われたことがある。地球上に閉鎖した空間(巨大な温室)をつくりエネルギー以外はすべて自給自足する実験である。もちろん酸素や二酸化炭素の循環は厳密に設計されたはずであった。しかしこの実験は酸素不足のため一年強で失敗に終わったそうだ。(「地球の内部で何が起こっているか」p119)閉鎖空間で自給自足する技術は地球上でさえ完成していない。
 有人宇宙飛行の本当の意義は科学ではなく軍事にあるのだろう。一時、米国のスペースシャトルで他国の軍事衛星を捕獲することが検討されていたらしい。(「スペースシャトルの落日」p.115)日本が軍事的理由から米国にお付き合いしなければならないのなら、なるべくお金のかからないように細々とやってほしい。マスメディアの報道も控えめにしてほしい。あたかも科学的意義があるようなことを言って小学生を巻き込んだりすることはやめてほしい。
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by takaminumablog | 2005-08-06 09:17 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)