カテゴリ:読書日記(その他の科学)( 59 )

ジュリアン・ハヴィル著【松浦俊輔訳】2009「世界でもっとも奇妙な数学パズル」青土社

タイトルは「世界でもっとも奇妙な・・・」となっているが、有名な多くのパラドックスの解説が載っている。
シンプソンの逆理(集団を2つに分けた場合にある仮説が成り立っても、集団全体では正反対の仮説が成立することがある)、モンティホール問題、エレベータのパラドックスなど。初めて聞く時にはとても知的興奮を覚える。しかし、中には数学を勉強した人は必ず知っていなければならないカントールのパラドックスがあるかと思えば、とても難しいい数学に関する話題があったりして飛ばして読みたくなるものも含まれている。
上に上げたパラドックスや問題の名前を初めて聞く人にはお勧めの本。
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by takaminumablog | 2009-08-29 10:06 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)

太田朋子2009「分子進化のほぼ中立説 偶然と淘汰の進化モデル」講談社ブルーバックス

進化論について一般向けに解説した本は多数出版されている。しかしトンデモ本であったり、トンデモ説をそう断ることもなく紹介してあったりして、一般人が進化論に関する正しい知識を吸収するのは難しい。その中で、この本は一般向けに書かれた優れた解説書だ。そのかわりコンパクトにまとめられていて素人にはとても難解である。この本を読む前に少なくても次の本は読んでおかねばならない。
木村資生1988「分子進化を考える」岩波新書
著者は木村資生博士の門下生で中立説を発展させて「ほぼ中立説」を確立した方だそうだ。
木村資生博士が中立進化論を発表してから2008年で40周年となったらしい。(中立進化論がNature誌に1968年2月17日に掲載された)そろそろわれわれ一般人も分子進化の中立説を理解してもよいころだろう。
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by takaminumablog | 2009-06-14 15:56 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)

人工冬眠

市瀬史2009”「人工冬眠」への挑戦―「命の一時停止」の医学的応用”講談社ブルーバックス
ビジネスの世界では目立った活動がないことを「冬眠していた」などと冗談をいうが、冗談ではなくなりつつあるらしい。
大胆な予想を言わせてもらえば、今後数年以内に、何らかの形の“人工冬眠”は実現する恥です。おそらく最初は、重症の外傷患者を救う最終手段の一つとして急速強制冷却と全身麻酔と筋弛緩と人工呼吸の併用という形で行われるものとなるでしょう。
そして10~20年以内に冬眠のメカニズムが完全に解明されると思います。そうなれば人工呼吸や全身麻酔のどの医学的補助手段を使わない人工冬眠も、単なる夢から手の届く可能性の一つに変わるでしょう。「今年の冬は寒そうだから、カプセルの中で人工冬眠して過ごそう」という選択ができる日も、そう遠い未来ではなさそうです。

冬眠中は代謝が抑制されるため寿命を延ばす効果があるらしい。つまり冬眠中はあまり年を取らないということだ。われわれの孫の世代くらいになると「不景気で就職先も見つからないからしばらく冬眠しよう」なんていう時代になるのだろうか?
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by takaminumablog | 2009-04-30 16:33 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)

渡部潤一2008「最新・月の科学-残された謎を解く」NHKブックス 

1969年7月20日(日本時間21日)と言っても覚えている人はいないだろう。こちらの記事参照。皆が忘れてしまう位、昔の話だ。「あれから長い月日がたち月の科学もさぞ進歩し、どのようにして人間が滞在するのか位が課題だろう」と漠然と考えていた。しかし、それは大間違いだった。この本を読むと、月については基本的なこともほとんど分かっていないということが理解できる。例えば月の表と裏の相違はどうしてできたかすら分かっていないらしい。
 月の自転周期は 地球を周回する公転周期と完全に一致していて、地球から見える側(表)は常に一定である。
これは起きあがりこぼしを考えると理解しやすい。起きあがりこぼしのお尻は頭に比べて相当重くなっている。そのため、お尻が地球の重力に引かれるので、お尻を下にして(つまり地球に向けて)立ち上がった状態がもっとも安定である。実は月の表側は、裏側に比べて、やや重くなっている。つまり月の引力重心が天体の形状重心よりずれている。そのため、起きあがりこぼしのように、月はそのお尻を(つまり表側を)地球に向けて安定した状態になった末に、そのまま止まってしまったと考えられる。
ところで、探査機によって撮影された月の裏面には、ほとんど海といえるものがない。これを月の表と裏がまったく異なっているという意味で、二分性あるいは二面性と呼んでいる。

最大の謎は、表と裏で大きく異なる、月の二分性がどのようにしてできたか、である。月は大規模に融解したマグマの大洋から白くて薄い斜長石が浮いて表面を覆ったと考える研究者が体勢を占めているが、その厚さが表で薄く裏で厚い理由は今もって解明されていない。

この本は月について何が分かっていないかを理解するのによい本だ。
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by takaminumablog | 2008-07-21 08:24 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)

再び「地震予知の科学」について

中国・四川大地震の後、「地震予知の科学」の書評が目に留まった。私が以前に書いたブログはこちら。 正直に言ってあきれた。評者は『大規模な地震は予知可能になった。ただし、「×月×日×時に震度×の地震がある」とまではいかないけれども。』と書いている。次の点を確認しておきたい。
(1)この本では「予知」という言葉を普通の日本語とは異なる意味で使っている。普通の日本語でいうところの予知はまだ不可能。
(2)地震には「プレートの沈み込みによってプレート境界で発生する地震」と「大陸プレートの内部で発生する地震」の2種類がある。岩手・宮城内陸地震は後者。「プレートの沈み込みによってプレート境界で発生する地震」についてある程度発生の仕組みが分かっってきた。しかし大陸プレートの内部で発生する地震については長期評価さえ大きな誤差を伴う。
(3)プレートの沈み込みによってプレート境界で発生する地震の一つである東海地震の予知を目指して「プレスリップ」の観測をしているが、「大地震発生前にプレスリップが検知できる」というのは仮説でしかない。そもそも「東海地震」だけが発生間近という説も誤りであった。正確な数字は知らないが40年間に1600億円を使ったらしい。(だれか正確な数字をご存知の方はコメントしていただきたい)私は無駄だったと思うが、異論もあると思う。(ほとんど車が走らない道路に比べれば微々たる物かもしれない)

中国は1975年に「地震予知」を成功させたことがある。中国は「予知」に肩入れしすぎたのではないか。日本も(地震メカニズムの研究は重要だが)「予知」が可能という前提は捨てるべきだ。
評者は「最近の天気予報はよく当たる」と書いているが本当だろうか。気象庁の公式見解のこちらを参照して欲しい。
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by takaminumablog | 2008-06-17 11:45 | 読書日記(その他の科学) | Comments(3)

時間のある人にお勧めの「時間」に関する本

「時間とは何か」というテーマについて考え出すといくら時間があっても足りない。時間に関する本は多いが、科学的な裏づけのない哲学にはまったく興味のない私にはチンプンカンプン。そんな中でこの本は出色。物理学の裏づけを持った時間論の解説。私が過去の読んだ時間に関する本の中で「ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学」中公新書と比肩するくらいの名著。ぜひ皆にお勧めしたい。ただし理科系の人でないと難しいかな?
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by takaminumablog | 2008-06-07 16:53 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)

進化論

中原英臣、佐川峻2008「新・進化論が変わる ゲノム時代にダーウィン進化論は生き残るか」講談社ブルーバックス
ゲノム時代になり進化論に何か面白い発見でもあったのかと思い読み出してみた。「ヒトの遺伝子の三分の一はウイルスのかけら」という話には「なるほど」と思ったが、進化論については新しい話は何もでてこないので失望した。この本は内容に偏りがありすぎて進化論全体についておさらいするにも向いていない。一番駄目なのは「進化の主体は個体か種か」という問題を今も科学者が論争中であるかのように解説している点だ。だいたい「進化の主体が種である」と奇妙な主張をした今西錦司についても不要な言及が目立つ。今西進化論などといわれるが、あれは(思想かもしれないが)科学ではないし、日本以外ではまったく評価されていない。(霊長類の研究で著名な今西錦司が主張したため、日本の科学界に多大な悪影響を与えた。(例えば桑村哲生著「性転換する魚たち― サンゴ礁の海から ―」参照)
 著者たちはウイルス進化説を主張しているらしい。しかしそれを裏付ける根拠はどこにも示されていない。単なる仮設だ。ウイルス進化説との相性がいいからといって、「進化の主体が種である可能性もある」と誤解させるような解説は困る。
 くだらないことを書きすぎページ数が増えたためか、進化論に関する重要なことは簡単に書かれているだけ。
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by takaminumablog | 2008-05-07 16:16 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)

りこうなハンス

オスカル・プフングスト著 秦和子訳2007『ウマはなぜ「計算」ができたか-「りこうなハンス効果」の発見』現代人文社
 昨年の流行語にKY(空気を読め)というのがあった。いやな言葉だ。言いたいことがあれば言葉で表現するのが、(ウマは別として)人間のコミュニケーションの基本だ。「KYを期待するような文化はグローバル競争の中で消滅するに違いない」と思う。
 ところで、「空気を読む」というと、賢馬ハンスを思い出す。(ハンスを知らない人は賢馬ハンスでWikipediaを検索してください。何ができたかについては、下の引用を参照。英語で検索する場合はClever Hans)
表題の原著はなんと1907年に出版された。100年経った現在でも面白い内容である。著者が自ら馬の役目をつとめて質問者が思った数を当てることができたという話には感心した。社会心理学を学ぼうとする人にはもちろん、科学の道に進もうという人にはぜひ一読をお勧めしたい。
ハンスがやってのけるのは(第一章参照)、まず例えば「3足す2はいくつか?」と聞かれると即座に右前足を少し前に出して軽く叩き始め、5打叩くと足を元の位置に戻すこと。また「赤はどれか?」と訊ねられるとあらかじめ並べてあった色布の列から赤い布を選び出し口にくわえて持って来、「右はどっちか?」と聞かれると頭を(質問者にとっての)右に一振りして示すことです。かようなことをするようになったのは、飼い主によれば、ニンジンやパンという褒美(強化子・強化刺激)を用いつつ、児童を指導するように学ばさせたからだというのです。なんとハンスは、サーカスや見世物での「りこうな」イヌや他のウマとは違って、教師不在中でさえ正しく答えるのです-この事実はハンス事例の一大特徴です。

訳者のことば(p.346)
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by takaminumablog | 2008-01-10 09:23 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)

脳研究の最前線

理化学研究所脳科学総合研究センター2007「脳研究の最前線 上・下」講談社ブルーバックス
脳科学研究に関する最新事情を紹介した本である。それぞれ独立した12章からなるが、かなり専門的な事柄も書かれているため、素人がとても全体の感想など書けない。私が面白いとおもったこと、気づいたことなどをとりとめもなく書くことにする。
・知性の起源(3章)
ここに「人類は未来にむけても進化し続けるということです。」という記述があり、「オヤ!」と思った。以前何かの本に「人類の進化はとまりつつある」という旨の記述があった。従来なら産道から生まれることができなかった胎児が帝王切開の普及により出産可能になった、という事例が紹介されていた。現代では知能の高い人がたくさんの子どもを残すとは限らない。先進国はどこも人口減少に悩まされているという事実をみても人類の進化をにわかには信じることはできない。私の想像できる人類の進化は、疫病などで人類が大幅に減ってしまうような事態の後に起こるものだ。
この記述に続く文章は次のとおり。
われわれの脳に宿る心は、次は何を創造し何処へ向かうのでしょうか。生物が今まで経験したことのない差し迫った新規の状況は、電子通信によって多数の心がリアルタイムでつながれたネット社会ではないでしょうか。そこでは、個々の「主体」の意志は身体から離れ、機能別にネットを介して相互作用し、千切れた自己の切れ端が仮想社会で共有され、融合されることになります。

そうかもしれないがそれが「進化」とどういう関係があるのだろうか。「進化」というからには「遺伝」によって変化するものでなければならない。(最近一般書に進化という言葉を比喩的にもちいるのがはやっているが、まさかこの本にはそんな記述はないだろうと信じたい)

・言語と脳の進化(4章)
 私がこの章を読む前までは「言語は考古学的な痕跡を残さないため人類の言語の起源について述べられていることはすべて仮設でしかない」と漠然と考えていた。この章に紹介されている以下の議論は面白い。
口か手か
 さて、人間の言語と脳の対応についてひと通りの説明が終わったところで、言語の起源について現在議論の的になっている項目を一つずつ検討してゆこう。まずは、言語は口が出力、耳が入力として始まったのか、それとも手が出力、目が入力として始まったのかという論争である。
 この論争は、学問的なものとはいえ、どうしても自分の研究の利害を反映させやすい。そこがまた面白いところである。どういうことがというと、サルやチンパンジーを研究している人にとって、言語は手から始まったと考える方が都合が良い。人間以外の霊長類は発声を学習によって変化させる程度が非常に限られているが、手の動きによるサインであれば学習によってさまざまなバリエーションを身につけることができるからである。だから霊長類の「言語」研究のほとんどは、プラスチック片を手で並べ替える「記号言語」や腕の動きによる「手話言語」である。

以前、次のようなジョークをチンパンジー学者から聞いたことがある。
人間以外の霊長類は喉の構造から多様な音声をだせない。「彼らが言語を使えないのは頭が悪いからではなく、喉が悪いからだ」
いっぽう、私のように鳥類の歌の研究をしている立場からいうと、言語は何が何でも音からスタートしたと考えないと困る。そもそも鳥の手は羽になっているから、手話させようがない。というのは当たり前だが、より大切な理由は、鳥の歌とヒトの言語習得には共通する脳・認知過程があることが分かっているからだ。どちらの立場にも、自分の研究対象が人間のより深い理解につながるかどうかは研究者としての死活問題である。

・つながる脳(8章)
人口デバイスを用いて脳にアクセスする試みは、当然のことながら技術的にも倫理的にも、いきなり人に行うことはできません。薬の臨床治験と同じように、マウスなどの齧歯類からはじめてサルで確認し、そして人への臨床治験を行いながら、徐々に安全性を確認していかなければなりません。
 たとえば、リモートラットという面白い実験があります。これは2002年にニューヨーク州立大学のシェーピン教授が報告したものです。
 動物になんらかの行動をさせるときには、その動物がどういう行動をとったらいいか(行動選択)という情報、ここでは外部から脳に送る信号の意味を理解させる必要があります。そしてその情報を動物が理解して正しい行動をとったときには報酬を与えなければいけません。通常の実験では、行動選択のための信号は、ライトの点灯や音などを使います。たとえば赤いランプがつけば右、青いランプがつけば左という具合です。一方報酬はジュースや餌などの現実的なものを与えます。
 ところが、彼らは、課題に必要な右か左という空間情報と、それに応じて行う行動への報酬獲得という全くことなる属性を持つ情報を、電気刺激によってラットに与えたのです。

中略
この実験で使われた一つ一つの技術は、さほど新しいものではありませんが、完全に自律した固体の行動を外部からの電気的な刺激だけでコントロールすることができるという点では、極めて新しく、非常にショッキングでした。もしかしたら、私たちもこのような装置で自由に他人からコントロールされてしまうのではないかという恐ろしさも感じます。

脳研究の暴走をゆるさない監視の仕組みが必要なのではないだろうか。

最後の章「脳は理論でわかるかー学習、記憶、認識の仕組み」はとても面白い。一冊の本にしてもあまりまるくらいの内容を含むため、短すぎるのが難。
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by takaminumablog | 2007-12-12 15:45 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)

「見る」とはどういうことか

藤田一郎2007 “「見る」とはどういうことかー脳と心の関係を探る”(株)化学同人
この本、はじめの方は錯視の例の紹介などが書かれていてとても楽しく気軽に読める。北岡明佳の「蛇の回転」が年配の人では回転して見えない場合もあるというエピソード(p.24)は面白かった。
私もはじめて「蛇の回転」を見たときはとても驚いた。まだ見たことのない人はぜひ見て欲しい。(著者はこの錯視が感じられないらしい。ただしパソコン画面でみると感じるそうだ)シンチレーション錯視の例(この本にこちらの錯視も印刷されている。私の場合、なぜか印刷物ではこの錯視が感じられない。(年齢のせいか?)しかしパソコン画面で見るとはっきり感じる。
 戦争などで脳に障害のある人の症例(視覚物体失認、相貌失認、視覚性運動失行など)の話をきくと「見る」ということが実は複雑な機能の積み重ねから成り立っているらしいことが分かる。
 このような話題に引きずられ読み進むと脳の機能の話になる。それとともに、どんどん難解になり最後は何がなんだか分からなくなってしまった。小説を読むように一機に読むのは無理だった。
 この本の最後の章に次の記述がある。
母校の中高一貫校で脳の話をしたところ、「ものはあるから見えるのですか、見えるからあるのですか」という質問をした少年がいた。まだ中学2年生くらいのこの少年は、自分の持つ素朴実在主義的な世界の理解とちがうことがあることを、私の講義の中に嗅ぎつけたのである。

天才的な少年がいるのには驚いた。普通の人には理解しがたい疑問であろう。
私たちのまわりにある物体はそれぞれには色がついており、これは、私たちが存在しようがしまいが、変わることのない事実のように思える。しかし、そうではない。それぞれの物体の表面は、どのような波長帯域の光を放出または反射するかの固有の性質を持っているが、それを色として感じるのは私たち自身の目と脳の共同作業の結果である。私たち人間を含めた生物のいないところに、色は存在しない。これは近年の脳科学の発展をもって人類が到達した結論ではない。三百年も前に、ニュートン(Isaac Newton:1643~1727)は「光線には色がない」ことを見破っている。
そして、これは色に限ったことではない。音も匂いも味も、私たちの脳が処理して初めて存在する。誰もいなかった太古の地球上で岩石が雷を受けて崩れたとき、地面や空気に強い振動が生じただろうが、音は生じなかった。私たちが口に入れ味わい、鼻に吸い込み匂いを感じない限り、目の前にある食物には味も匂いもなく、あるのは物質の塊とそこから揮発する分子である。
私たち人間の存在とは無関係に、色や音や匂いや味が存在するという考え方はとても自然に思えるのだが正しくないのである。このことは、色や音や匂いや味については、にわかには受け入れがたく感じるが、体性感覚については意外に理解しやすい。バラのとげに「痛い」という感覚が内在しいるとは誰も思うまい。バラのとげが指にささり初めて痛いのであって、「痛い」という感覚が私たちの体や脳を離れて、外界に存在してはいない。

私も「ものはあるから見えるのですか、見えるからあるのですか」について再考してみなければならない。
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by takaminumablog | 2007-12-01 08:00 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)