脳研究の最前線

理化学研究所脳科学総合研究センター2007「脳研究の最前線 上・下」講談社ブルーバックス
脳科学研究に関する最新事情を紹介した本である。それぞれ独立した12章からなるが、かなり専門的な事柄も書かれているため、素人がとても全体の感想など書けない。私が面白いとおもったこと、気づいたことなどをとりとめもなく書くことにする。
・知性の起源(3章)
ここに「人類は未来にむけても進化し続けるということです。」という記述があり、「オヤ!」と思った。以前何かの本に「人類の進化はとまりつつある」という旨の記述があった。従来なら産道から生まれることができなかった胎児が帝王切開の普及により出産可能になった、という事例が紹介されていた。現代では知能の高い人がたくさんの子どもを残すとは限らない。先進国はどこも人口減少に悩まされているという事実をみても人類の進化をにわかには信じることはできない。私の想像できる人類の進化は、疫病などで人類が大幅に減ってしまうような事態の後に起こるものだ。
この記述に続く文章は次のとおり。
われわれの脳に宿る心は、次は何を創造し何処へ向かうのでしょうか。生物が今まで経験したことのない差し迫った新規の状況は、電子通信によって多数の心がリアルタイムでつながれたネット社会ではないでしょうか。そこでは、個々の「主体」の意志は身体から離れ、機能別にネットを介して相互作用し、千切れた自己の切れ端が仮想社会で共有され、融合されることになります。

そうかもしれないがそれが「進化」とどういう関係があるのだろうか。「進化」というからには「遺伝」によって変化するものでなければならない。(最近一般書に進化という言葉を比喩的にもちいるのがはやっているが、まさかこの本にはそんな記述はないだろうと信じたい)

・言語と脳の進化(4章)
 私がこの章を読む前までは「言語は考古学的な痕跡を残さないため人類の言語の起源について述べられていることはすべて仮設でしかない」と漠然と考えていた。この章に紹介されている以下の議論は面白い。
口か手か
 さて、人間の言語と脳の対応についてひと通りの説明が終わったところで、言語の起源について現在議論の的になっている項目を一つずつ検討してゆこう。まずは、言語は口が出力、耳が入力として始まったのか、それとも手が出力、目が入力として始まったのかという論争である。
 この論争は、学問的なものとはいえ、どうしても自分の研究の利害を反映させやすい。そこがまた面白いところである。どういうことがというと、サルやチンパンジーを研究している人にとって、言語は手から始まったと考える方が都合が良い。人間以外の霊長類は発声を学習によって変化させる程度が非常に限られているが、手の動きによるサインであれば学習によってさまざまなバリエーションを身につけることができるからである。だから霊長類の「言語」研究のほとんどは、プラスチック片を手で並べ替える「記号言語」や腕の動きによる「手話言語」である。

以前、次のようなジョークをチンパンジー学者から聞いたことがある。
人間以外の霊長類は喉の構造から多様な音声をだせない。「彼らが言語を使えないのは頭が悪いからではなく、喉が悪いからだ」
いっぽう、私のように鳥類の歌の研究をしている立場からいうと、言語は何が何でも音からスタートしたと考えないと困る。そもそも鳥の手は羽になっているから、手話させようがない。というのは当たり前だが、より大切な理由は、鳥の歌とヒトの言語習得には共通する脳・認知過程があることが分かっているからだ。どちらの立場にも、自分の研究対象が人間のより深い理解につながるかどうかは研究者としての死活問題である。

・つながる脳(8章)
人口デバイスを用いて脳にアクセスする試みは、当然のことながら技術的にも倫理的にも、いきなり人に行うことはできません。薬の臨床治験と同じように、マウスなどの齧歯類からはじめてサルで確認し、そして人への臨床治験を行いながら、徐々に安全性を確認していかなければなりません。
 たとえば、リモートラットという面白い実験があります。これは2002年にニューヨーク州立大学のシェーピン教授が報告したものです。
 動物になんらかの行動をさせるときには、その動物がどういう行動をとったらいいか(行動選択)という情報、ここでは外部から脳に送る信号の意味を理解させる必要があります。そしてその情報を動物が理解して正しい行動をとったときには報酬を与えなければいけません。通常の実験では、行動選択のための信号は、ライトの点灯や音などを使います。たとえば赤いランプがつけば右、青いランプがつけば左という具合です。一方報酬はジュースや餌などの現実的なものを与えます。
 ところが、彼らは、課題に必要な右か左という空間情報と、それに応じて行う行動への報酬獲得という全くことなる属性を持つ情報を、電気刺激によってラットに与えたのです。

中略
この実験で使われた一つ一つの技術は、さほど新しいものではありませんが、完全に自律した固体の行動を外部からの電気的な刺激だけでコントロールすることができるという点では、極めて新しく、非常にショッキングでした。もしかしたら、私たちもこのような装置で自由に他人からコントロールされてしまうのではないかという恐ろしさも感じます。

脳研究の暴走をゆるさない監視の仕組みが必要なのではないだろうか。

最後の章「脳は理論でわかるかー学習、記憶、認識の仕組み」はとても面白い。一冊の本にしてもあまりまるくらいの内容を含むため、短すぎるのが難。
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by takaminumablog | 2007-12-12 15:45 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)
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