「見る」とはどういうことか

藤田一郎2007 “「見る」とはどういうことかー脳と心の関係を探る”(株)化学同人
この本、はじめの方は錯視の例の紹介などが書かれていてとても楽しく気軽に読める。北岡明佳の「蛇の回転」が年配の人では回転して見えない場合もあるというエピソード(p.24)は面白かった。
私もはじめて「蛇の回転」を見たときはとても驚いた。まだ見たことのない人はぜひ見て欲しい。(著者はこの錯視が感じられないらしい。ただしパソコン画面でみると感じるそうだ)シンチレーション錯視の例(この本にこちらの錯視も印刷されている。私の場合、なぜか印刷物ではこの錯視が感じられない。(年齢のせいか?)しかしパソコン画面で見るとはっきり感じる。
 戦争などで脳に障害のある人の症例(視覚物体失認、相貌失認、視覚性運動失行など)の話をきくと「見る」ということが実は複雑な機能の積み重ねから成り立っているらしいことが分かる。
 このような話題に引きずられ読み進むと脳の機能の話になる。それとともに、どんどん難解になり最後は何がなんだか分からなくなってしまった。小説を読むように一機に読むのは無理だった。
 この本の最後の章に次の記述がある。
母校の中高一貫校で脳の話をしたところ、「ものはあるから見えるのですか、見えるからあるのですか」という質問をした少年がいた。まだ中学2年生くらいのこの少年は、自分の持つ素朴実在主義的な世界の理解とちがうことがあることを、私の講義の中に嗅ぎつけたのである。

天才的な少年がいるのには驚いた。普通の人には理解しがたい疑問であろう。
私たちのまわりにある物体はそれぞれには色がついており、これは、私たちが存在しようがしまいが、変わることのない事実のように思える。しかし、そうではない。それぞれの物体の表面は、どのような波長帯域の光を放出または反射するかの固有の性質を持っているが、それを色として感じるのは私たち自身の目と脳の共同作業の結果である。私たち人間を含めた生物のいないところに、色は存在しない。これは近年の脳科学の発展をもって人類が到達した結論ではない。三百年も前に、ニュートン(Isaac Newton:1643~1727)は「光線には色がない」ことを見破っている。
そして、これは色に限ったことではない。音も匂いも味も、私たちの脳が処理して初めて存在する。誰もいなかった太古の地球上で岩石が雷を受けて崩れたとき、地面や空気に強い振動が生じただろうが、音は生じなかった。私たちが口に入れ味わい、鼻に吸い込み匂いを感じない限り、目の前にある食物には味も匂いもなく、あるのは物質の塊とそこから揮発する分子である。
私たち人間の存在とは無関係に、色や音や匂いや味が存在するという考え方はとても自然に思えるのだが正しくないのである。このことは、色や音や匂いや味については、にわかには受け入れがたく感じるが、体性感覚については意外に理解しやすい。バラのとげに「痛い」という感覚が内在しいるとは誰も思うまい。バラのとげが指にささり初めて痛いのであって、「痛い」という感覚が私たちの体や脳を離れて、外界に存在してはいない。

私も「ものはあるから見えるのですか、見えるからあるのですか」について再考してみなければならない。
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by takaminumablog | 2007-12-01 08:00 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)
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