小学生に英語?

「英語特区」などと言って小学生に英語を教える特区の出現にあきれていたら、次は全国の小学校で英語を必須化するという案がでてきた。そこでこの本を読んでみた。
鳥飼玖美子2006「危うし!小学校英語」文藝春秋
これを読めば小学校英語がいかに危ういものであるか良く分かる。
英語を教えることができる先生がほとんどいないのにどうやって英語を教えるのか。小学生に週一時間程度の授業であれば、ゲームなど遊びの要素を取り入れたものになるだろう。英語を知らない先生が教えるとどういうことになるか、面白い例が載っているので引用しよう。
東京都内のある小学校5年生の授業。担任の先生が、まず英語の歌のテープを流します。それが終わると、次に「ゲームを始めよう」と言って、各班に野菜や果物の絵が描かれたカードを引いてもらいます。「みんなの前で言ってみよう」という先生の掛け声に応じて、リンゴのカードを引いた男の子が立ち上がって、こう言ったそうです。「アイ・アム・アップル!」先生もにこにこして「アイ・アム・アップル!」それぞれの班の子どもたちも、それに続きます。「アイ・アム・ピーチ!」「アイ・アム・バナナ!」「アイ・アム・グレープ!」……あとでバトラー後藤さんにこの授業風景ビデオを見せられたアメリカ人教師たちは、「これは英語ではない」と目を白黒させたそうです。

英語の苦手な人のために解説。
アップル、ピーチなどには定冠詞(アン、ア)が必須。次のようなスタンダード・ジョークがある。日本人がホテルでPlease call me taxi.とボーイに頼んだらTaxiと呼びかけられたそうだ。(a taxiでないために「私のことをTaxiと呼んでくれ」という意味になる)
たとえ定冠詞を追加したとしても「私=リンゴ」という意味になり英語の感覚からすると、とてもおかしい。日本人は食堂でウェイターに「何にしますか?」と「カツどんをお願い」「私はうなぎ」などという。この「私はうなぎ」という文を業界用語で「うなぎ文」と呼ぶ。もちろん英語にはない言い方だ。「うなぎ文」で検索するとたくさんの解説が見つかる。

 この本によると、マスメディアで言われる英語教育に対する「文法偏重」「コミュニケーション軽視」という非難は、非難する人たちの昔の教育に対しては正しくても、現在は当てはまらないようだ。
 よく「日本人は、読解力はあるが、リスニングや会話ができない」と主張する人がいる。しかし「読解力もリスニングも会話もできない」が正しいのであって「読解力がある」というのは迷信に過ぎないようだ。(私がそうだと思っていたことが確認できた)
 しばしば日本語が特別難しいため、外国語習得上不利だと解説する人がいる。私は、これは正しくないと思っている。私の知っている、日本に働きに来た外国人たちは、1年もするとある程度会話ができるようになっている。日本語が特別難しいために外国語習得ができないというのは思い込みに過ぎないのではないか。
 私の経験からすると、英語ができないことを嘆くおじさんたちは2種類に分類できると思う。一番目は仕事や私生活において英語でコミュニケーションする必要のない人たちだ。このような人は、本当は英語ができないと嘆く必要はないはない。もう一つは日本語でも文化的な背景が異なる外国人とまともなコミュニケーションができない人たちだ。「ゴルフの話しかしないから会話が続かない」と陰口を言われているのを知らない人たちだ。話す内容がないので話しかけてもらえない。だから英語ができないのだ。
 小学生にはまず日本語で、自分の考えを話せる訓練をすべきだ。

 偉そうなことを言った後に面白いウェブサイトを紹介します。面白い英語みたいな英語でないもの(Engrish)が多数紹介されている。日本人の英語力向上には、Engrish追放運動をやったほうがよいと思う。
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by takaminumablog | 2006-07-18 08:25 | 読書日記(その他の科学) | Comments(0)
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