戦争遺跡としてのこどもの国

こともの国(横浜市)は立派な(?)戦争遺跡である。
(Wikipediaより)
戦時中は、旧・日本軍最大規模の弾薬組み立て・格納などを目的とした弾薬製造貯蔵施設(東京陸軍兵器補給廠・田奈部隊填薬所)であった。敗戦後は田奈弾薬庫として米軍に接収されるが、後に返還された。1959年の当時の皇太子(今上天皇)の成婚を記念して、主に、国費と雪印乳業など民間からの寄贈により施設跡地を整備し、1965年5月5日(こどもの日)に開園した。

園内を歩いてみると、ところどころに弾薬庫跡が見つかる。弾薬庫の入口はうずもれてしまい換気抗だけが不気味に立っているものもある。ある弾薬庫の入口には戦争中の美談(負傷した米軍兵士がボーイスカウトだったことを知り、とどめを刺すのを止めた話)のを紹介するモニュメントがあった。
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by takaminumablog | 2015-06-29 08:16 | 写真:画像 | Comments(2)
Commented by けい at 2015-07-06 11:23 x
60年以上前の古~~い話!慶応大学日吉に勤めていました
日吉校舎のあるところは無線の入りやすい場所とかで、本土
決戦の時は日吉校舎に軍の情報部が移転するとかで、大きな
地下壕が作られていました。数年勤めていましたので、当時は
中に入れたので、入ってみました。敗戦後は校舎の半分が
米軍に接収されていました。横浜は軍事基地の多い所です。
素人が作った小さいラジオでもモスクワ放送が入り、よく
聴いていました。最近日吉の地下壕が新聞に載っていましたね
きな臭い臭いの立ち込める最近戦争の遺物は大事に保存して
考える糧にしてほしいです。
Commented by takaminumablog at 2015-07-06 15:48
慶応大学日吉校舎の地下壕は今でも時々公開されているのですね。
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